特別におせがきの意義を知っていただくために講員様向けの月報より転載させてただきました。
誌上法話 「大きな積善行 お施餓鬼」
「お施餓鬼」は万人が大きな徳を積むチャンスです。
仏教の考えでは世の中には「餓鬼道」といって鬼類の世界と言うのがありますが、その多くは前世は人間です。
動物には餓鬼堂に堕ちると言うのはありません。畜類は常に飢えをしのぐことを目的としているので現世に居ながらに同じ境涯だからです。
境遇も非常に苛酷ですが、動物には基本的に善悪の考えが希薄なので地獄に行くこともないのです。普通はおうちで飼われている犬猫を別にすると、もう生きながら地獄にいるようなのが畜生道ですから。
それに対して人間にして生きている時、わが利を貪って飽くことを知らず、他者を顧みない。こういう人は悲しいことについに死しては餓鬼となる。
人間は大概は死んだからと言ってそう変わりません。貪りの人は貪りの心をもってあの世に行く。でも、あの世には彼らが求めているものは家もお金も車も名誉も地位も何もないので常に満たされずさまようことになります。「お施餓鬼」で彼らにお加持したお食事をあげるとあの世で何倍にも膨れ上がり、餓鬼たちを満足させることができます。これが「お施餓鬼」です。これはイメージで行うのですが、そこには本質に慈悲があります。
生きている時、慈悲を知らぬものたちですが施餓鬼にあって他者への「慈悲の思い」が豊かさのもとであると悟るのです。この心を持った餓鬼から解脱していきます。
しかし自分が解脱すればいいというものではないのが真の慈悲です。このゆえに「先に道を得るものは誓って相度脱せんことを」と読み聞かせ、先に慈悲のお悟りを得た餓鬼は今度は施す側、救済する側に廻りなさいと読み聞かせます。人として施餓鬼ができるということは大変大きな功徳なのです。「うちはちゃんと先祖供養だけはしているから・・・」という方もいますが、自分の家さえ栄えればよいという考えは畢竟「餓鬼道」につながる考えです。勿論、お施餓鬼において、ご先祖や個人を追善することは大きな功徳ですが「三界万霊」と言う無縁の衆生を施すことはさらに大きな功徳になります。「無縁の慈悲」それこそがお施餓鬼の本質なのです。
仏教は豊かさを呼ぶものあっ施しの慈悲であると考えますので「お施餓鬼」は密教の法のうちには、生きている我々に豊かさをもたらす「増益法」と言う豊かさをもたらす部類のものになります。