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達人願望と密教

私の若いころ、まだ高校生のころだが密教をやると「アデプト」になれるということで多くの若者を魅了した教団があった。

アデプトは「達人」の意味。

霊的に極めて高い人を神智学から派生した「黄金の夜明け」ではアヂィプトスと呼んだそうだ。

私もそこに興味を持って行ってみた。

これが密教との最初の縁だ。

でもしばらくしていってすぐに「これはお金集めの教祖信仰」だと思ってやめた。

この教祖を大っぴらに詐欺師と批判している阿闍梨様がいたのでそのあたりを窺いに行ってみて、はじめて仏教の教えらしい密教の考えに触れた。

 

いまでも時々密教修行したいけど、達人になれるか?超人になれるか?と言ってきく人もある。

「いいえ、そんなもんになれません。わたしみればわかるでしょ。ただのひとですよ。ものによっては貴方の方が勝れていると思う。」

「でもすごい人いるでしょ、千里眼とか、念力でもの動かせる人とか?」と言う人もいる。

「そうですね。いるかもしれないけど、みんながそうなるわけじゃないでしょう。もともとそういう力が眠ってただけだと思う。まあ、その掘り起しにはなんかしら役立ったのかも。でも密教の目的は本来は超人になるとかそういうのじゃないですよ。全然違う。」

その人は虚空蔵菩薩の求聞持法に興味あったようですが「そういう行だって誰もだ出来るわけじゃない。それだけの器と縁と精進ではじめてできることです。

このひとはそれができるか。するにふさわしいか。そういう見極めをしてはじめて行が許される。それを見極めるのが阿闍梨という役職です。そこまでいくのは努力だけで何とかなるとは限りません。」と言うとだいぶがっかりしたみたい。

「ガッカリしないでいい。何も密教なんかしなくても人生の達人になる道はいくらでもある。達人になりたいのならまず人生の達人を目指すことです。不断の勉強と人としての修養でそれ実現しやすい。」といっておいた。

 

たとえ、ご祈祷とかが達者でも行者自身はただの人間です。

そういう方法を仏が教えおいてくれたからできるだけのことです。

超人になるからご祈祷ができるわけではない。

 

 

 




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