大乗仏教の生き方とは「生きている」のをゆるがせに想わぬことだ。
ここまで来たのも明日があるのも稀有なことだ
常 楽 我 浄
無常ではなく常
苦ではなく楽
無我でなく我
不浄でなく浄
無常、一切苦、無我、不浄は悟らずとも理屈でわかることだ。
だが常楽我浄は理屈ではわからない。
だから、これは悟ってみればみなそうなるの意味だと思っている。
悟っても、なにももの自体が変わるのではない。
見方が変わるのだ。
自分が変わる。
悟ったとて他は何も変わらないだろう。
それだけだ。
たしかに時間軸ではすべてが変わりゆくだろう。
常なる者はない。楽は一瞬の存在で続かない。我すら死んで消えてゆくものに過ぎぬ。
老いて病になり、そして死すればすべて不浄なるむくろとなる
これは当たり前。
常 楽 我 浄とは何か。
わかりやすく言えば今ここがそれではないのだろうか。
過去にとらわれず、未来を恐れず、いまを生きる。
今にすべてがある。
今以外になにもない。