以下の内容はhttps://konjichouin.hatenablog.com/entry/2025/06/21/221917より取得しました。


常 楽 我 浄

大乗仏教の生き方とは「生きている」のをゆるがせに想わぬことだ。

ここまで来たのも明日があるのも稀有なことだ

常 楽 我 浄

無常ではなく常

苦ではなく楽

無我でなく我

不浄でなく浄

無常、一切苦、無我、不浄は悟らずとも理屈でわかることだ。

だが常楽我浄は理屈ではわからない。

だから、これは悟ってみればみなそうなるの意味だと思っている。

悟っても、なにももの自体が変わるのではない。

見方が変わるのだ。

自分が変わる。

悟ったとて他は何も変わらないだろう。

それだけだ。

たしかに時間軸ではすべてが変わりゆくだろう。

 

常なる者はない。楽は一瞬の存在で続かない。我すら死んで消えてゆくものに過ぎぬ。

老いて病になり、そして死すればすべて不浄なるむくろとなる

これは当たり前。

常 楽 我 浄とは何か。

わかりやすく言えば今ここがそれではないのだろうか。

過去にとらわれず、未来を恐れず、いまを生きる。

今にすべてがある。

今以外になにもない。

 




以上の内容はhttps://konjichouin.hatenablog.com/entry/2025/06/21/221917より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14