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「朝題目 夕念仏」で生きる

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これは新たなスタイルの死への憧憬かもしれない。

気持ちの上では一種の「厭離穢土 欣求浄土」といえるだろう。

それだけ若者が現世への夢を持っていないということかもしれない。

彼らは死後について信じる信じとか信じない以前にアニメの異世界のような感覚で見ているのかもしれない。日常もかなりバーチャル世界だし。

現代の若者は不可知なものについて思索や論議するのは無駄だと知っている。

表向きは文明国であっても、若者が希望をもって生きるに値すると思われない世の中が今の日本なのだろうか。

 

私は「朝題目 夕念仏」の天台法門の末徒であるから、もちろん浄土信仰を否定するわけではない。

ただ、私は浄土はこの世を丁寧に生きた人のものだと思う。

この世をしっかり生きてこその浄土だ。

しっかり生きねば浄土門で言うところの 深心、発願心、回向心もうまれないだろう。

絶望から念仏して死んでも死後も同じような世界が待つのみだと思う。

「朝題目 夕念仏」は壱日だけのことではない、人生もそうだ。

朝題目とは若きうちは人生を自己を磨く修行の場と心得て雄々しく生き、夕念仏とは晩年、寂静の気持ちで極楽を思って念仏できることと思っている。

よく生き よく死ぬる。これが「朝題目 夕念仏」だと思う。

ハッキリ言えばジタバタ踏ん張って生きて、最後には諦めて死ぬことが大事なのだ。

それが人生の価値であり、それ以外の人生などない。

 

 




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