今日なんだか朝方、夢のなかで鎌倉の絵柄天神様へ行かないと・・・とおもいたちました。
鎌倉市街に買い物もあったが、まず天神様にいかなきゃと言うことで行先変更。

行ったら「そうだ!私は大学受験をお祈りしてお陰を頂いたのに、自分はお礼参りしていないわ!」と思いだした。
なんと言うことだ!
一年間、大東文化大の法科にいた私は父の意向に反して心理学を学びに行くことを決意。親を拝みたおして駒沢大に再チャレンジしようとしていました。
両親からはそんな二度も高い入学金を払わすのか!ふざけるな。とひどく怒られて「絶対許さない!」「勝手にしたらいいだろう!」と言われてはいましたが・・
まあ、結果合格して親が渋々許してくれた。ほんとに申し訳ない。(´;ω;`)ウゥゥ
と言うのは父はある大御所の政治家とと幼馴染で昵懇の中、それで私をある政治家さんの秘書にと思っていたようですが、ちょうど折からその当の大御所が在任中に急逝。
派閥内の秘書も人事再編成で事務所が新たに秘書を迎えるどころのそんな騒ぎでなくなったというタイミングもあったのです。
それはさておき天神様。当時、ここにお参りした時は10代の最後、別にお金もないからご祈祷とかもしてもらってはいません。
ただ、手を合わせて一心にお参りしていたら脇の下からカーッと熱くなり何かの不思議な感応を感じたものです。
なので受験合格は天神様の御利益だと思ったものです。
だが、学生だったので当時はそんなことももう忘れていた。
不届き者だわ。
それで今日は呼ばれるようにお参りして御礼の御祈祷をしていただきました。
天神様、永い間ごめんなさい。
ここは習合時代は十一面観音、不動明王、毘沙門天をお祀りしていたそうです。
やはり十一面観音かァと言う感じ。
わが師匠の守護神も天満宮だし、なにかと縁を感じます。
受験は可なり熱心に御祈祷されています。
受験祈願にはおすすめです。
新編相模風土記には以下の様にあります
往還の北側にあり、荏柄山と号す、 【倭名鈔】当郡郷名に荏草と記すあり、今其唱を失すれど全く当社地辺の旧唱ならん、草にかやの古訓あれば、えがらはえがやの転訛なるを後文字をさへ今の如く書改しなるべし、
[中略]
拝殿あり、 本社中央に菅公束帯の座像を置き、(【鎌倉志】に、此像足膝焼ふすふりてあり、五臓六腑を作り入れ、内に鈴を掛て舌とし、頭内に十一面観音を作りこむと云ふとあり) 右方に天拝山祈誓の立像左方に本地仏十一面観音の像を置く、 勧請の年代を伝へず、 頼朝初めて大蔵の地に館造営の時当社を以て鬼門の鎮神とす(社伝に據る)
[中略]
△老松殿 本社の東にあり、毘沙門を置く、
△紅梅殿 本社の西にあり、正宗の刀(庖刀正宗と号す)を神体とせしが今は不動を置く、 共に慶長十二年瀧川下総守雄利修理す(棟札あり)其後の事本社と同じ、
△末社 弁天(境外にあり、当社は頼朝館の郭内にありしが、館を若宮大路に移せし時、当社の末社となれりと云う) 稲荷・山神合祀、
[中略]
△別当一乗院 荏柄山と号す、古義真言宗(京、東寺末)