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霊験は験(しるし)

霊験は験(しるし)である。

仏は創造の産物ならず、呼べば答えてくれるという証だ。

験あって初めて仏を知る。

現世利益の値打ちはそこにある。

対するに来世は行って帰って来た人はいない。

極楽やあの世がどのようなところか誰も体験は語れない。

 

だからといってその験をずっと求め続けていくのが信仰ではない。

本筋は験により仏を知ったら、仏が真実あることをこころにおいてその教えにより生きていくことが真の信仰だろう。

信仰はまことのひとの生き方であり、どこまでももの欲しい心の延長であってはいけない。

極楽信仰も往生と言う霊験は信仰の出発点ではなくゴールという点では対称的だが仏道の生き方であることにかわりあるまい。

だが、それゆえに阿弥陀仏に現世の祈願を頼むことも私はむしろ大事と思っている。

現世に何もなくしては信じること自体難しい。

故に私は阿弥陀仏の現世利益を提唱したい。

チベットでは阿弥陀仏は多羅菩薩、尊勝佛頂と並んで延命の功徳があるという。

日本とチベットであれ仏の功徳に変わりなどない。

また増上寺様の黒本尊は阿弥陀仏であるが勝ち運や商売繁盛をもたらすとして信仰を集めている。

密教では蓮華部の教主であり敬愛の徳をつかさどる。




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