「我昔、正法明如来の御元にてこの印明を伝え、一仏の出世には我亦かくのごとく示現垂迹して仏法を守る」
正法明如来は観音の前身です。
観音は既に如来ですが我等と歩まんがために大菩薩として化現している方です。
そのような昔から諸仏の出世ごとに示現し伝えている法だと言います。
「ことにただいま行者に伝ずるこの方はよく末世の衆生に流布すべし
仏陀 神明に祈ると言えども、福智愛嬌を知らざる我が輩は例えば日月四州を照らすと言えども、黒雲永く隔つるがごとく、蓑笠の如くその身に及ばず」
末世の我らはすでに福徳愛嬌の徳を失い、通常の祈りは届きにくい意味。
神仏の加護は日月の溶暗物で隔てないが我らの業は黒雲の如く妨げます。
末世であればなおさらに信仰は薄くなる。
五濁悪世とは信仰の質が低下するので仏法そのものが廃れるという道理はない。
真如は永遠不滅で時を超越するものです。
よく末世はこのお経じゃないと功徳はないから無意味などと言うのは迷信の最たるものです。
「この呪文の功力、誠なるかな一度一呪を保つ輩は輪廻すると言えども仏道を証すること疑いなし 現世の諸願は刹那の間に成就すべし」
これは不動尊の「一持秘密呪生々而加護」の誓願に準じるもの「刹那に願望成就」するのは摩利支天の誓願を現わします。不動尊も摩利支天も飯縄様と同体です。
「我 宝冠に白蛇を頂くは貪欲神を降伏せんがため、右手に剣を取るは障礙神を降伏せんがため、左手に縄を持つは飢渇髪を降伏せんがためなり、翼の如くなるは三千大千世界をいちどきに天翔けんがため也」
これは宇賀神の誓願を現わします。宇賀神は三毒神を降伏する神です。そして翼を持つ本体は迦楼羅身にいして自在に空をかけます。飛行自在の徳は第一とします。
このことをいう「仮初もわが名を人の唱うれば 千里が外も袖に宿らん」という神歌もあります。
「白狐に乗るは魔界の衆生を善導に引き入れんがため、龍蛇を取りかたどることは三毒神を降伏せんがためなり
このゆえに我 辰を正日に定める」
手足にまいた龍蛇はやはり宇賀神と同じ働きを現わします。
全体にこの飯縄様を神道においては「スメタルホノミコト」と言って「稲荷神」とするのはこの宇賀神のお働きが非常に強いためです。宇賀神は稲荷の本地です。
故に荼吉尼天とも言います。
辰の日を縁日にするのは既に申しました。
抑々日本神様は蛇体をもって示現するのを常とします。
三輪山の神が本相を龍蛇とするのは有名ですね。
仏教流布以前のコニーデ型の神躰山は昔は入山禁止でした。
大昔は三輪山は禁足地です。
なぜなら山のかたちからとぐろを巻く蛇体の姿を神そのものとしたからです。