むかしのことですが・・・「羽田さんですか。ちょっとお聞きしていいですか?」という電話があった。
そういう時には「あなたはどこのどなたですか」と必ず聞くことにしている。
しぶれば電話は即切る。
礼儀のないものに相手などしない。
そこを遮って「本とか書いている以上はだれであれ、読者の質問に答える義務があるんじゃないのですか?」という人もあるが、そういう方には「いいえ、ないと思っています」で切る。
本当に質問があるなら本来は予約してきてもらいたい。
その人は名前と住所は言ったと思う。
だから「なんでしょうか?」といってみた。
「人間の生きている意味を聞きたくて・・・」
「生きている意味?さあ、それはしりませんね。」
「え、知らないって・・・それじゃ生きててもしょうがないでしょう?」
「先生はなんのために生きてるんですか?」
「別に。でもそんなもの知らなくたって生きていますよね、私もあなたも」
「仏教ではどう言っているのでしょう?」
「さあ、不勉強で知りません。悟りに向けて修行しろとか言う以外ないでしょ。ほかにはそんなのお経のどこにもないように思うけどね。あなたはどう思うのです?」
「わからないんで、それでききたくて。」
「そんなのわかりませんよ。誰も。わかるわけない。
滔々としゃべる方が嘘じゃないのでしょうか?
ひとつ言えば仏教になぜそれがないか?たぶん空の教えだからですね」
「空ですか?」
「空というのは一人で生きてるということでは無くてみなつながっていて切り離せないというのです。だから生きてると同時に生かされている。生かしてもいる。」
「その生きてる、生かされてる確証が僕にはないんです!」
「私だって別にないですよ。でも無意識に生かし、生かされている部分はあなたの意識できるものよりずっと大きい筈 ためしに呼吸とめてみなさいな。我慢できないから。それだって生きてる。生かされてるからなんでしょうよ。
生きてる部分は自分で考えなさいな。なにするのか。
でも、生かされてる部分は何考えようとと関係ないです。まあ、仏教的に言うなら仏さんのお思し召しですね。生かされていることがわからないから愚かにも自分の考え一つでいきようとする。同じく死のうとする。
同じことだと思うのだけど。」
「そうですか・・・・考えてみます。・・・では。」
「電話切るなら最後に礼を言わんか。無礼だぞ。」と言ったが既に切れていた。
困ったものだ (笑)