人が亡くなったり疾走したりもした、かの悪名高い元戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏
だが、彼の言うことは肯定できるとは思わないがまったくそうだと思う部分もなくはない。
ここで彼が悪しざまにいう心理学とは精神分析やカウンセリングなのだろう。
まあ、乱暴だが戸塚氏のやったことは原理的には行動療法と同じだと思う。
昔の小僧修行も基本的にはこれだ。場所によっては毎日なぐられた。
殴るのではないが傘を忘れた小僧時代に師匠に叱られて、何日もかけ徒歩で取りに行かされたというある大徳の話も聞いた。
もちろん今は時代が違う。昔は叩きもした。叩かれもしたが。。
もちろん、私も今は叩いたりなどしない。
理由は相手がその意味を理解しなければ苛めでしかないからからだ。
第一、そんなリスクを犯してまでして人様をよくする義理はない。悪くすれば訴訟だ。
知ったことではない。日本の教育者も多くはそうだろう。
そして無論、厳しさに堪えられれば強い人間はできるだろう。
ただそれが善き人間に育つか否かは全く別だ。
ドンなに過酷なことをやってのけても立派な人格とはまた別なのだ。
ヤクザの世界は落とし前で指つめたり、組を抜けるのに鉄のキセルで百たたきされたりかなり厳しいらしいが果たしてそれで立派な人になれようか?
まずある程度メンタルが強くないと何もできないのはわかる。
だがどんな人間が育つか、そこは重要だ。
そこには私は体罰には異論がある。
体罰というのは必ずエスカレートする怖さがある。ここに大きな問題がある。
犬や猫は叱っても理解もできるが、野生の狸やキツネは脅かそうものなら噛むだろう。
同じように人間も様々だ。どう叱るかは相手による。
そして、叱るのあくまで相手の為である。
難しいね。
ただ、いまは叱られて簡単に死んでしまったり、驚くほど弱い人が多すぎる。
叱られれば自己否定されたとしか思わない人もいるのだろう。