可なり頭に来たようだが、まあ不愉快は不愉快でしょう。
だが聖天さまだの理趣分うんぬんなどともちだす以前に、まず大乗仏教には僧俗一貫の「忍辱」という徳目がある。
その場だけで済んだことなら数日もすれば忘れることだ。
後になればなかったも同じ。
昔、大燈国師 宗峰妙超が船の中で狼藉者に叩かれた。
随身のお弟子が「おのれ無礼者、こらしめてくれる」と怒ったが
「打つ人も打たれる人ももろともにただひと時の夢も戯れ」と詠われて制されたという。
世の中に無法者や訳わからぬものは山ほどいる。
出会えば腹が立つが出会わないだけでもっと腹の立つ奴はやまほどいる。
なら出会わかったと思えばよい。