生霊が来るとか、念が送られてきて苦しめられている。
そう言う訴えはままあるけど多くの場合はほとんどなんにもきていない。
何かしらのこころの葛藤と恐怖が生み出している幻覚です。
自分で自分を苦しめる。そういうケースの方が圧倒的に多い。
まあ、勘の鋭い人はテレパシーみたいに人の感情を受信するけど、誰かの悪意が直ちに力をもって迫りはしない。
ほとんど9割り方がわれとわが身を苦しめる。
そこの仕組みが解れば生霊など怖くない。ハッキリ言えばやったことに後悔のない人は呪詛や怨念は容易に受けない。
「そんな人っている?」と思うだろうが、人間に完璧はない。厳密にしたことをいつも完ぺきと思うのはむしろ狂った人だろう。そういうことではない。
所詮完璧はない。良かったのか悪かったのかも最終的にはわからない。
だとすれば熟慮して行ったことはほじくりかえしてあれやこれやと後悔しないことだ。
「我ことにおいて後悔せず」
戦国武将や剣客などは合戦で多くを殺すのでさぞ恨みを買うだろうが簡単に呪詛されない。
やったことに後悔や罪悪感がないからだ。
むしろせねばならないことを果たしたという思いだろう。
業は残るが念は受けない。
本当に怖いのは相手に霊的仲介がある場合。これはやっかいだ。
まあ、呪詛のプロなどはこれでしている。本人は気が付いてなくてもそうだ。
そんな時も守護神があれば祈らずとも払っておいてくれる。
彼らがガードマンでもあるからだ。
ある霊能者から「あなた 生霊来てますよ。わかる?」と言われたが「ええ、きてるでしょうね。」と言って払いもしなかった。
こういう仕事をしていればだれかの味方をする。さすれば良くなっては困る側から見ればわたしは敵だ。
師匠から言われた口伝に「行者はむやみに怒ってはいけない。怒らなくても本尊が処理してくれる、自分が怒って何かすればそれがなくなる。」といわれたものだ。
実際師匠はかなりひどい目にあっても怒り心頭ということはまずなかったし、
そういう敵人は自然と消えて行ったようだ。
中には稲荷神社の前を通ったときに狐が憑いてきたんです!という人もいる。
神社の前を通る人など無数にいる。狐はその一人一人についていくのか?
アンタお稲荷さんに何かした?いいえ、通っただけです・・・
そんなバカバカしい根拠のないことは取り合えない。
こういう人の話をもとに「野狐放し」などを祈ることはしない。
「本人が望んでいるんだからしてあげるべきでは?」と言う人はシロートだからそう言うのだ
そんなことをすれば病識を深めるだけだ。
「うちでできることなどない。精神科へ行くべきですね。」
ハッキリそう言っています。