羽田談
強力な技術は持つものと持たざる者を自然と二分する。
いまでも核兵器というものがそうだ。
ないためにウクライナは蹂躙された。
少なくともゼレンスキー氏はそう思っているだろう。
強力な技術は強力な資本がなくては手に入れらえない。
よってとめるものはますます力を蓄える。
マルクス主義者のいう革命などしてもそれに抗えない以上はもう成り立つまい。
香港の民主化運動は一種の革命だが、皮肉にも革命を叫ぶ中国政府によって葬り去られた。
もうかっての共産革命の様な民衆蜂起の革命はできないのだ。
そこに圧倒的な力の差がある。
人民は平等にという共産主義も所詮は共産党政府という支配階級と人民という被支配階級の上下構造だ。
AIはさらにその溝を深く大きくするだろう。
だがドンな社会も民衆の力なくしては成り立たないことを忘れてはいけない。
民衆のいない社会はないのだ。そこの認識が大事だ。
それを想う時、庶民をオオミタカラと呼んだ神道の心映えを想う。