羽田談
愛染明王は最深秘の尊と言ってよい。
それは性という人間の根源に根差すテーマを仏としてあらわしたものだからだ。
性は性分というように天与の性質を言う。
「さが」とも読む。
性・愛と一口にいうが「性」は愛という感情よりよりもはるかに根の深い動物学的なものだ。生きるために必要なものなので、本来からして「愛」のようにそんな綺麗で理想的なものばかりではない。極端な例がカマキリのメスが交尾したオスをそのまま食べて卵の栄養に回すようなおどろおどろしい動物的なものが原点だろう。
それは同時に大変なエネルギーでもある。
あらゆる文化芸術の原点でもある。
仏道修行もまたそれを変換して精進していく。
ジェンダー・フリーという言葉はよく聞く。
男も女も区別しないように誤解されているが、その意味は社会が決めた性別による役割(ジェンダー)からの解放だ。それは結構かもしれないが、だが天与の性の縛からはなかなかに逃れ難い。
まさにサガだからだろう。
それを見極めることは自己を見極めることと別ではないと思う。
愛染明王の赤い体は衆生の愚かさに血の涙を流してその身を染めたのだいう。
衆生の愚かさとは愛欲に身を焦がし、理も智も失うことに他ならない。
理も智も失うものとは愛欲と怒りだ。
愛染明王の姿はその二つを表現している。
意義ある修行会だ。