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見えるということ

拝む時は相手のヴィジョンを思い描きます。

病人なら病人でその方を想う。

そうやって真言を送り込んで循環して行く。

そう言う拝みかたです。

だから顔を存じ上げていて描ける人と描けない方とではおのずと違います。

猫や犬でもそうです。

猫や犬は比較的気軽ですが、見ず知らずの人様のお顔の写真を送れとは少々言い難い。

だから、これはもうどうにもなりません。

任意でメール添付で送ってくるのは歓迎ですが、実のお写真を預かるのは大切な記念物ですから遠慮しています。

したがって一番よいのは来られるなら一度はお参りくださいとしか言えない。

 

 

さて、そうやって拝んでいくと違うものがビジョンに登場することがある。

これが課題ですね。

これは加持感応であり特異な霊能力のものではない。

だから修法壇から降りて念誦をやめればもう何もわかりません。

自分自身に能力があるなら壇から降りても可能でしょうがそうではない。

これは仲介する存在、眷属や指導霊の助力もあるのだと思う。

向き不向きはあるでしょうけど、修法を続けていくなら修練により誰でも可能だと思う。

特異能力ではなく密教の三密の功徳です。




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