仏を礼拝するということは我々より偉大なる至高の存在や創造主にひれ伏す意味ではない。
拝むことは拝まれることと同じだ。
我々の仏性を拝むのに全く等しい。
では仏はそとになくうちにあるというのか。
内とか外がないのが仏教だ。
外なるほとけを拝むことは全く同時に実は自分の仏性を拝んでいるのだ。
拝むということはそういうこと。
まつるは真釣るだ。
内外の仏性や神性を釣り合わす。
同質なものが自分にもあるからこそ「真釣る」ということができる。
たとえば皇室に対する崇敬も同じだ。
皇室にひれ伏すのではない。
私たちの中にある「日本なるもの」をそこに象徴して尊敬するのである。
万世一系というのはそういう意味だと思っている。
西洋の「王権神授説」の様なものとは根底から違う。