養老先生のこの話は聞くべき価値があると思う。
真理は一つ
科学の場合はそうだ。
そうでなければ役に立たない。
だが人の価値感はそうではない。
最近はそれを画一化しようとする。
価値観のグローバリスムである。
すぐに外国ではどうこうという。
日本には日本
個人には個人の価値観があっていい。
それを尊重という。
だがそれを理解したり好きになることをシェアする必要はない。
下らない言葉狩など最たるものだ。
放送禁止用語は日常語として禁止されているわけではない。
この養老先生のおお話にも「盲」という字がいけないという話が出るが、どうしてなのか私には判らない。
では赤緑色盲や夜盲症などというのもダメなのか?
バカバカしいとしか思わない。問題点を観なければ福祉もなりたたない。
しかし、最近はそういう社会の働きがある。
本当に大事なものは容認の心だ。
容認とは何か。一例を上げるとイスラム教は信じている人を尊重することは必要だが、イスラム教への勉強や理解まではいらない。イスラム教こそ本当に素晴らしいと思うなら私は仏教はやめることになる。
極端なことを言うならそういうことであろう。
だからそこまで深い理解なんかいらない。
ただ、無礼や失礼な言動は人としてすべきことでない。
lGBT や外国の人も同様だ。尊重すべきだ。
だが必ずしも好きにまでなる必要はないだろう。
例えばロシアはキライだ。
だがロシアの旅人につらく当たるとか、悪くするとは考えない。
そこは人としてすべきでないと思っている。
ただ内心、ロシアは好きではないということは変わらない。中国共産党もそうだし、クルド民族もそうだ。
嫌いなのを「ヘイト」という。なら私もそれだけでヘイト主義者なのか?
そこは人によって自由な領域だと思う。
今は好き嫌いまで裁こうとする傾向が見える。
そこを今は真逆に走っているように思う。むしろ価値観の急速な統一だ。
中国で現体制を讃えるために盛んに歌われた「社会主義好」の歌のようなもんだ。