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過激な言葉と仏教の布教

ryona.hatenadiary.jp

 

羽田談

若い頃は宗教論議みたいなのを山ほどやった。他流試合みたいにして。

ほぼ負けることはなかったが、そんなもので勝っても何もよいことはない。

結果として討論することは止めた。

それが討論の果てに得た唯一最大の成果と言えよう。

何の役にも立たない。

なぜなら議論で勝ってもがそれが正解であるとは言えないからだ。

多くはただ弁舌及ばず相手がいいまかされたというだけのこと。

相手が納得しないならそれ以外の何物もない。

つまらぬゲームに興じる愚かしい現代のソフィストになるだけのこと。

自分がまけても同じように思う。

だからお前の言っていることはそれは違うだろうという人に対しては「どう思おうとあなたはそれでいい」と思う。

話は聞くがこちらから別に反論も説得もない。

納得したとか、しないとか 一々知らせもしない。

そんなことは必要ない。

人は人だ。だから基本的に討論はしない。

ブレインストームという会議の方法がある。討論ではなく各々の所見を出し合う。

ケチをつけたりはなしだ。ただ納得できるものだけが残る。

よい方法と思う

例えば「仏教なんかダメだと思う」というんならそれがその人の得た学びなんだろう。

私の学びは違うというだけのことだ。なんの意見もない。

その人の考えを尊重する。

だが自分の考えも尊重する。

 

本当のことをいうと議論は破れた方がギフトが多いのだ。

だって目から鱗だもの。こんなステキなプレゼントはない。

だがそういうことはそうはないね。

日本だけでも1億2000万人もいるのに一々意見が一致しないことで傷つくなどバカのすることだ。

意見の違う人とでもはかにいっしょに楽しめるものがあればそれでいいというのが成長した人間の持つべき人間関係だと思う。




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