中峰大尊者の前身は弥勒寺の中興の祖天巽慶順の弟子中峰と伝え、小田原最乗寺道了薩たの弟分にあたるそう。
ですがこの山号を迦葉山というようにこの天狗様の本地は迦葉仏で仏弟子のマハーカッサパ尊者の成仏したお方ということのようです。日本でもそういう伝承はここだけのようですね。
迦葉は大乗仏教においては声聞と言う位置付けです。
仏弟子の声聞は二乗と言って仏陀にはなれない存在ですが、大乗仏典の法華経では声聞衆が授記を受けています。
授記品第六で迦葉尊者は光明仏として未来の授記を受けます。もちろん法華経自体が大乗の教えのために作られた物語で史実ではありません。
思想が先にあるので迦葉尊者が真実、ブッダになったかならないかは争うまでもないことですが、いまだに法華経にこうあるからそれが正しいのだと相手かまわずいう人がいるのは馬鹿げています。
それは聖書は神のみ言葉だから絶対だと誰彼構わず言うのと同じバカさ加減です。
たとえば神は七日で世界を作ったなどというのもそのまま信じなさいなどというのは傍目にはただの物語でしかないのに…としか思えない。
大乗仏典も聖書もほぼほぼ史実ではない。歴史書ではないのだからそれでいいのだが
けだし信じる者の世界でしかないと思います。
先に信仰あってこそ受け入れられる話で、その話を信じて信仰に至るのは本来ではない。同じ宗教であっても信じ方一つだ。
史実でもないことを絶対視するのは無知の所産でしかない。
それを迷信、妄信という。
信仰という世界には客観的にたしかなものなどない。
全て内証の世界だ。
必ずしも他者と共有したり論証したりするものではない。