18日の護摩のあとは「無我相禅」をすこしだけしている。
十回「無我相」というわずかな間だけだ。
濱地天松居士の提唱されたこのやりかたは駒澤大学で指導された数息観などより私にはなじむ。
わずかでも毎日やればやはりやらないのとは全く違う。
私も毎朝寝床の上でするだけだ。
大事なのは背骨を立てておくこと、姿勢にある。
トランスというと一緒くたにしてしまうが背骨の力が抜けて首をうなだれる「昏沈」は禅定にならない。
瞑想などというと一緒にしてしまうが禅は禅だ。
そもそも仏教に瞑想の語はない。
ときどき「瞑想やりたいんですが」とか「マインドフルネスしたいんですが」と言ってくれば「止観とか阿字観といったものはあるがそういうものはないです。」と答えている。
瞑想という言葉にこだわるならカルチャーセンターのやっている「○○瞑想教室」というのにでも行ってみたらいいだろう。