苦しみはたくさんある。釈尊は苦しみに敏感な人だった。
だが、ここ数千年、人類のその苦しみを減らしてきたのは仏教ではない。
そのほかの宗教でもない。
いろいろな工夫や科学技術だ。
だが苦しみは減っても人の悩みは絶えない。
そして様々な苦しみは自らの外にある。
それはなかなかに避けられないが、悩むことは自らの問題だ。
やめられる。
釈尊と言う人が教えたのはそういうことだろう。
悩まず生きる。
草や昆虫は悩まず生きている。
悩む機能がないのだと思う。
人間は理性知性をもって悩まぬことができる。
それが磨かれた理性知性ということだろう。
仏教的には諦観という。
いまだ悩みはあっても自らの枠からを離れて高度な悩みに替わる。
それを慈悲という。
そう思っている。