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去時と進次郎構文と伏線 紅蓮寺

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羽田談 天台も法華文句に十不二門をいう。

天台の十不二門に「来去」の項目はないが、この哲学的に難解に見える龍樹菩薩の言う問題を解くのは「何が」来去するかという点だと思っている。

項目が八であれ十であれ、よしんば百でもこの「何が」で全部解けるのではないか。

不二門の項目数は門題ではない。

仏典は論であれ、経典であれ項目は多岐にわたっても必ずしも別々なことを言ってはいないことはとても多い。

例えば般若理趣分で「○○は菩薩の句儀である」と延々と繰り返される。

それには個々の説明重要ではない。すべて菩薩の句儀というのと同じだからだ

「何が」がということについては皆同じだ。

「何が」がわかれば全てわかる。

公安と同じようなものではないか。ひとつ解けたら皆解ける。

思索の罠にはまってはいけない。

仏果は論理学や思索の果てに得られるのではない。

 

 




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