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老人の鬱と極楽思想

65歳以上の方の6分の1が鬱病だとか。

原因は定年離職で急にやるべきことがなくなったり、体調不良や子供との隔絶感、夫婦間の隔絶感などいろいろあろう。

これらのなかには現代人特有のものもあるかもしれない。

 

ひとつの特徴として仏教の来世観が失われているのもある。

今の老人には死んで浄土に行くというのがない。

死ねば終わり。カルシウムになるだけだと思っている。

死ねば肉体的には終わりなのは現実には誰も同じだが来世に向かっての希望がない。

浄土でなくても「うまれかわり」でもいいと思うがそれもない。

非科学的だという老人もいるが、そんなところを科学的に考えて何の得るところがあろう。

死後など解らない? それはそうだ。

だからこそ思う。

検証ができないのだから科学なんぞの出る幕じゃないのだ。

 

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以前、ある浄土系の布教師の方のおはなしを聞いた。

「お念仏すれば極楽に行けますと徹底して言うことが大事」という。

それは結構であるが、なれどビジョンがなくてはならない。

思い描く浄土の様子だ。

具体的に阿弥陀経に言う、極楽浄土は金の甍に玉の道、車輪のような蓮が咲いている。現代ではこんなおはあまり受けないイメージだ。木々のざわめきや鳥の声はみなお経なのだという。

ハッキリ言って昔、香港にあったタイガーバウムガーデンみたいだ。

現代感覚でいえば悪趣味のテーマパークの様にしか思えない。

無論こんなものは古代の人のイメージでできたものであろう。

 

必ずしもそういう具体的なものでなくてもいい。

極楽浄土のイメージを明るさ、暖かさ、色、体感覚で思い描く現代版「観無量寿経」的なアプローチが大事だ。いうなれば永遠の安心のイメージだ。

各人のイメージでいいから深めていく。

私に言わせれば極楽も己心の浄土。人の思い思いでいい。

それでたくさんだ。

 

譬え助行であっても口称念仏だけで人に来世のイメージは伝わるだろうか。

浄土系によっては阿弥陀仏へのアプローチは六字の口称念仏以外は一切ダメと頑なに言う宗門もあるが私に言わせればこいつ、バカだなと思う。

抑々、インドにも中国にも日本語の南無阿弥陀仏はないだろう。




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