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映画「鹿の国」2 諏訪勘文

鹿の国では諏訪の勘文が紹介される。

中世の仏教の影響を受けた神道でできたものと思う。

業尽有情 雖放不生  

故宿人身 同証仏果

 

業のつきたるこの生き物は みのがしたところで生きられない

ゆえに殺して食べれば人身に宿って、人として修行して仏果を同じくする。

 

同じ思想はチベット仏教にもある。

直接、リンポチェからお聞きした。

だからヤクの肉は食べるのだそうだ。ヤクはチベットで飼われている牛の類だ。

野生種もいる。

日頃は麦子菓子とバター茶がほとんどの高地のチベットの食文化では、健康を保つのには欠かせぬ貴重な動物性たんぱくなのだろう。

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私は生き物を食べることはあえて否定しない。

私自身は菜食主義でもなければ、ヴィ―ガンでもない。

聖天供の七日間などは酒や獣肉を口にしないだけだ。

まあ、獣肉を日常的に取らぬ方が健康にはよいようと思う。

たまに食べれば薬になる。

 

全ての生き物は生き物を食べるという食物連鎖にのっとって生きている。

それを否定することは生き物全てを否定することだと思う。

木喰上人と言われる人も完全菜食の人は長く命を保たないそうだ。

鰹節の汁などは適宜とった人は天寿を全うしていると聞いた。

人も容易に動物の死の苦しみはわかる。

この矛盾を解決するために西洋でもショーペンハウエルなどは動物は殺されて悲鳴など上げるが、苦痛はない機械のような存在なのだと唱えた。

あるいはすべての動物は人間の為にある存在なのだという聖書の教えだ。

 

ハッキリ言えば諏訪の勘文も含め、これらは食べられる側の生き物から見れば、いずれも嘘八百のゴマ化しであり、人間の心が痛まぬよう編み出された愚にも着かぬ屁理屈である。

だが彼らは我々に決して哀願しない。どんな小さな生き物でもとらえようとすれば抗い、力尽きるまで戦いを挑んでくる。

同証仏果などより命の方が大事だからだ。

 

人は矛盾を否定してはいけない。

世界は矛盾しているものなのだ。

矛盾とみること自体が人間の傲慢なのかもしれない。

ゆえに矛盾に苦しみながら日々生きることこそ正しい。

 

古来、生き物は食べるのが供養という。

諏訪の勘文と同じ理屈だろう。

無論、もう料理として出てきたものは食べるべきだ。

私は肉ほど残してはいけない。全部食べないと申し訳ないと思う。

ことがそこに至って不浄だから食べないなどというのは二重に生き物を殺すことだ。

だが、善い事をしているなどと思わず、こころで泣いて、なお口にするほうが真実と思う。

 

 




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