聖天様の女天は十一面様ということになっていますが、十一面様そのままの姿ではない。
毘奈夜伽女になって相対せられた。
つまり相手とつりあう形で降りてこられた。「あなたといっしょですよ」ということである。まずそれで相手は安心し、親しみを持つ。
それで毘奈夜伽王である男天は彼女を欲するわけであるが、そこで今度は女天が「私はあなたの求めに応じてあなたのもとに参りました。今度はあなたは私と行動を共にしてください。」という。
それで毘奈夜伽王は障礙神を改め善神となる。
夫婦は形の上でもつり合い、行動もともでなければ夫婦にならない。
同じものを食べ、同じ家で過ごし、心を通わすから夫婦なのではないのか。
各々違う環境で育った二人がそれ其れの事情を合わせていくことでなりたつのだと思う。
それが夫婦和合の基本だろう。
家庭がもめるという相談があるが、どうもそのあたりがバラバラではもめてあたりまえだ。
個人主義が徹底してしまうとこれが難しい。
これは婚姻前のカップルでも同じことだと思う。
観音は観音、毘奈夜伽は毘奈夜伽のまま通そうとしては和合はならない。
