田阪師が今年いっぱいで去る予定。
入る予定の人はやめたので次に来る人は今はいないが。
まあ、いろいろ言うけど本音は今の人には自由がないのが絶えられないのだろうね。
だが、自由にやりたいなどと言っているうちはなかなかものにはならない。
盆栽の様にいらぬもを切り、持てる力をすべて注いで延ばすものを延ばしてこそできることだ。
小僧修行とはそういうものだ。
当院では一応職員であるが実際は研修生である。
はじめのうちはなんにもできない。なにかできるようになるころには卒業して辞めていく。
うちはそれを活かしていわゆるお礼奉公をして帰る人間なども一切ない。
だから住み込みの見習いというべきだ。
だが、もう小僧さんおく寺なんかほとんどどこにもないといっていい。
多くが事実上家庭であり家族でやっている。他人なんかお邪魔虫というところがほとんどだろう。
実際弟子に入っても寺族にことごとにつらく当たられ、止めるという人も多い。
養子でさえそういう話をきく。弟子などもはや養成する意味も必要もないということだと思う。
拙寺は父母さえももう今はいないからそこは幸いだ。私としてひとりはやりやすい。
今の風潮か、還暦になる前まではそれでも結婚したらどうかと言う人もいたが…まっぴらである。
生来勝手の性分だから無理だ。
大寺院でも末寺の師弟が一時的にいるくらいだ。
その意味では当院は数少ないちいさな場所かもしれない。
私の若い頃はそういう小僧修行は結構あったが今は絶滅状態であろう。
ただ拙寺の場合は一応うちの弟子で住み込みでいた方は全員専門でなんとかやっている。
本人の努力の賜物だと思うがそれは私としてもうれしく思っている。
わたしの修行時代はオヤジが心配して師匠に会いに行ってくれた。
「私はこの世界は全く解らないのですが、うちの子は先生みたいになれますか?」と聞くと「それはわからない」でおしまいだった。
「祈願ができるようになっても途中からダメになる場合もある」といわれた。
考えてみれば当たり前だ。約束も補償も何もない。
オヤジからは「お前、そんなので一体どうするんだ!」といわれた。
まあ、親心からすれば当然かもしれない。
オヤジは小さな会社を持っていたが、私はあとをやる気はゼロだった。
やるもやらないも私にはできないと思った。困った息子だ(笑)
だから路線変更はなしだ。
それで今度は家で「そんなに諦められないなら、世にいう霊能者にも見てもらえ」というので、3人ほど見てもらったが全員に「無理」といわれた。「やめなさい」といわれた。
可なり高名な方もあった。
オヤジは「それみたことか。やめたがいい」とここぞと言った。
大阪で有名な進学校の教師をしている叔父からも「くだらないことしていないで稼ぐことだ。金のない人間など首のない人間と同じだぞ。」と叱らた。
ま、もっともだ。
だが面白いことに全員が無理と言われたので今日の体裁があるのだと思う。
それでますます「よし、そこまでいうなら絶対やってやる!」と思ったからだ。
元来が強情でヘソが曲がっているので人が左と言えば右という。
それが幸いした。
余談だが私が思想的に右寄りなのも学校がばりばりの左翼だったからだ。当時は日教組全盛時代、共産主義こそあるべき理想と教わったが絶対に呑まれてなるか!と思っていた。生来のひねくれものだ。
だから今でも霊能者の判断などは当てにしないわけだ。
霊能あるので修行やりたいんです…という人は門前払いにするのはそういうことだ。
ハッキリ言うがそんなもの当てにして修行などできるものではない。
たとえ、あっても自己の霊能を黙って秘匿している人だけが合格だ。
本当にあるなら黙っていてもいずれ漏れる。そういうものだ。
これをみよとばかりに霊能者でございと言う者はダメだ。一切考慮に入れない。
ずうずうしいのになると私に指導しようというやつもいる。
「あなたはそんなに凄いなら私の指導なんかいらないよね、それを当てにしてもうご自分でおやりなさい」と言っている。
親にもずいぶん迷惑をかけた。初任給からいくらか渡せるところはそれもできなっかたし、・・・そういう経験から職業行者になりたい人の修行の費用はすべて見てやろうと思って修行者の受け入れをはじめた。初期費用はここに来る交通費だけだ。
こちらは勿論手伝いもしてもらえるしね。
昔はそういうのを「功徳親」といったそうだ。要するに修行者のスポンサーだね。
私の修行時代ですらもうそう言う人は少なかった。
田阪師も無事なればもうじき百座の十一面観音護摩行が終わる。
明日は六観音に加えてその護摩を5人の行者に授ける。
護摩が終ればうちにいるうちに聖天念誦作法や飯縄法を授けて、さらに残りの日数で宇賀神修義ができたら上出来と思い予定している。
それが終われば おさらば である。
あとは健闘を祈るのみだ。