昨日は東海林賤の紫微斗数のお教室。
そこで離されたのが「弱盤」という命、つまり運気のつたない人。
東海林先生が紫微斗数を最初に習った台湾の老師は開運の方法として「信仰」をあげたという。
奇門遁甲や風水の様な秘術も根本的な命の壁まではなかなか変えられない。
そこは術数をやり込んだ人は皆同じことを言う。
持ち合わせのない運はひきだせない。どんな人でも助かるわけではない。

信仰の世界の人間である私から見たらどう思うか?と聞かれたが、まずあまりに酷い命の人はその信仰とも無縁だと感じる。
信仰できたとしても信仰の質にもよる。中にはしないほうがマシな信仰もある。
つまり、信仰の質にもよるがそこが助かる助からないのボーダーライン以下だ。
信仰が救いになるのは「考えかたを変えるからこそ」である。
形の上で信仰に入りさえすれば神仏が「よっしゃ よっし!」と受け容れてくれて助かるわけじゃない、
そこがないなら変わりようがない。