なにかというと「差別の 平等の」ということが言う人がいるが、こと修行においてはその考えは無用だ。
他人様には平等にでも自分に対しては厳しくあらねばならないのが修行の態度だ。
あの人もこの程度だから自分もこの程度でいいというのは修行にはならない。
受験勉強で人と同じ程度で平等にしようと勉強していたら受かるまい。
人より先んじて勉強しなくては!
したがって修行の庭においても人には寛容でも自分には厳しく課さねば修行はならないだろう。
だから必要と思えば基礎の十八道行法を100座でも200座でもさせる。
ほかの人は21座でいいのになどというのは聞こえない。
なるべく楽にやりたいなら修行など一切しないのが一番楽だ。