厭離穢土欣求浄土。人は年を取るとそうなりやすい。
老は一つの「救いのよすが」かもしれない。
人間の中にそういう機能があるのだろう。
彌陀に一向に頼る。
観世音を頼む。
不動尊を頼む。
境涯は皆同じだ。勝劣はない。
私の晩年は歓喜天のまにまに生きることになりそうだ。
そう要求されているように思う。じゃあそうしようか。
江戸時代の真言宗の碩学・浄厳和尚は歓喜天なんか信仰すると死んだ果てはビナヤキャの部類になるからおやめなさいと生駒の湛海律師に注意された。
歓喜天和讃には極楽往生を説くが・・・・まあ、どうだかわからない。
だが私は死後、護法鬼神の部類になるのはそういやではない。
また人間やるよりそっちの方が面白そうだ。