密教には触らないほうが良い法があると思っている。
密教の道に入ってもなお限られた人にしか許されない法。
ザックリ言えば秘法というのがそれだが、密教自体が全部秘法なので、そこをいうなら秘法中の秘法であるという意味だ。
私的には秘法とは霊験がすごいとかではない。やるべき人のみがやる法の意味だと思っている。
そこを間違えると災いを呼ぶこともある。
授けた側にも授かった側にも言える。
これはやらないほうがいいという法も個人レベルにはあると思う。
事相研究の専門家なら別だが、なんでもかんでも秘法伝授があれば受けにいきたがるというのは密教をまことには知らないものがやることではないだろうか。
最高の法など厳密には存在しない。自分が拝みやすいのが最高の法だ。
巾をもって諸法を会得すること自体は素晴らしいとは思うが刀が得手なものが物珍しさに槍だ、弓矢だ、長巻だとほかの得物を手に取ってみても、果たして存分な働きができようか。
理源大師聖宝さまは40歳までは無量寿如来法だけを修されたという。