人を殺しても大乗仏教の答えは「悟れる」可能性は断じられない。
まず、大乗一般としては伝統的には得度できないものは父を殺す、母を殺す、阿羅漢を殺す、仏身より血を出だす。
和合僧を破る(教団を分裂させる)の五逆罪がなければ受けられる。
僧になるのは上求菩提下化衆生のためである。
即ち悟りの可能性はある。
仁王経に斑足王という悪王がいて外道に騙され摩訶伽羅天に生贄として各国の王侯の首をささげていた。ある時、普明王という仏教の信仰の篤い王をとらえたが、彼は殺される前に、一日だけ僧侶を供養し、説法会を開きたいと許可を乞う。
斑足はこれを許すが、彼は仏説を聞いて大いにその心を翻し、悪逆な行為をしていた過去を懺悔して王位を捨て出家して無生法忍の悟りを得たと説く。
かの鬼子母神も多くの子供を殺めたが懺悔し、修行、善行の果てに初果を得たという。
善きカルマは悟りの道を速やかならしめ、諸仏の誓願にも合うのだが、悟りの因ではない。
殺人という究極の罪悪を犯しても人は悟れる。
ミラレパ尊者は復讐のため妖術を習得し、にっくき叔父の済む一ヶ村に雹を降らせて全滅させた後悔から仏道修行を始める。
戦国大名などは皆、殺人者だが、偉人もいれば、きわめて宗教的な余生を送った人もいる。
善悪のカルマと悟りの縁は同じではないのだ。ただ不昧因果だ。仏智を得ても業を転ずることはできない
ただし悟っても因果はくらませられない。罪悪なる行為が仏道に目覚めたり、悟りの機縁になるのを「逆縁」という。
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因縁解脱とは新しく悪をなさぬということにほかならない。
不断の善行を行ってもなお、悟れないものもいれば、魔道に堕して帰って悟るものもある。そんなに単純ではない。
ただし、「絶対条件は懺悔」である。
ことわっておくが此れと社会的刑罰は別なことは言うまでもない。宗教と刑罰は別だ。
人を殺せば死刑にもなりうる。それをどうこう言う気はない。
人に仏性があるから死刑反対などという一知半解なことは言わない。
人喰いクマも毒蛇も仏性だけなら皆あるのだ。
だが、死刑囚も含め収監者は更生し信心に目覚めて残りの人生もしくは次の生を潤して欲しいと思う。