ダルマキールティ・法称は7世紀インドの大乗仏教の唯識派に属する傑僧
個々の牛しかいない。
ウシはそこから出た概念で存在ではない。
概念の牛を見たことがあるのか?
この考えはまさにバラモンの「宇宙論」に対する大乗仏教の「認識論」だと思う。
大乗仏教では宇宙や存在は認識の中にしかない。
だがその認識も認識の中にしかない。
それで論証できるのか?
論証なんかできない。
抑々認識している我々の存在も認識上の存在だ。
哲学的には不可知論に近いがそこに我々も入るから「空」となる。
この違いは四大仮和合を言う上座部(説一切有部など)と大乗仏教の違いの中にもそのまま受け継がれている。