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仏教の説く明るい厭世観 「横川法語」

今年も大詰め。

今年はどういう一年でしたか?

「明けましておめでとう」とは、何事もなく年が越せたことを祝う言葉。

だから不幸があったりすれば「明けまして」とはいわない。

 

仏教は基本的にこの世を苦の世界とみています。

「明けましておめでとう」もそういうこと。

無事であることを祝う。

なにごともなく年が越せればラッキー。このうえ何がいる?

この世はパラダイスなんかじゃない。

苦が根底にある。

「一切皆苦」という。

私は若い内はこの言葉が暗くて大嫌いでしたが、しだいにそうではないんだとなと気がついた。

この世は苦だらけが当たり前、そのうえ小さなことで気落ちしたり気にしていたらやってられないということだと思う。

 

だから「苦しいのが当たり前」と思えばちいさなことは気にはならない。

生 老 病 死の四苦を根底に

求不得苦(欲しいものはなかなか手に入らない)

怨憎会苦(嫌な奴にも遭わなきゃいけない)

愛別離苦(愛しいものはいつか離れていく)

五蘊成苦(自分の体すらなかなか思うようにならない)

を入れて八苦。四苦八苦というのはこれ。

「楽が当たり前」と思うならこの世の矛盾に苦しみぬく。

「なぜ?こんな・・・」と思うようになる。

酷いことはなんだってある。さんざんあれこれ苦労して生き抜いて・・・

しまいにゃ死ぬんですよ。

 

でも楽な順序から言えば天道に次いで二番目が人間。実はまだかなりいいほうなのです。

このことを比叡山の源信僧都は「横川法語」にうたっている。

 

「まづ三悪道をはなれて人間に生るること、大きなるよろこびなり。身は賤しくとも畜生に劣らんや。

家は貧しくとも餓鬼にまさるべし。

心に想うこと叶はずとも地獄の苦にくらぶべからず

世の住み憂きは(俗世を)厭うふたよりなり。

このゆえに人間に生れたることを喜ぶべし。

信心浅けれども(阿弥陀様の)本願ふかきゆゑに、たのめばかならず往生す。念仏ものうけれども、唱ふればさだめて来迎にあづかる

功徳莫大なるゆえに、本願に遭うことをよろこぶべし。

 また曰く、妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念のほかに別に心はなきなり。

臨終の時までは一向妄念の凡夫にてあるべきぞとこころえて念仏すれば、来迎にあづかりて蓮台に乗ずるときこそ、妄念をひるがへしてさとりの心とはなれ。

妄念のうちより申しいだしたる念仏は、濁りに染まぬ蓮(ハチス)のごとくにて、決定往生疑いあるべからず。

太字の部分、これは念仏の功徳をいうものだが念仏を真言に置き換えても同じと思います。私はそう思い念誦している。

いうも愚かだが、この身もすべからず妄念を地体にする妄念の凡夫でしかないのだから。

「妄念のほかに別に心はなきなし」身に沁みる言葉です。




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