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一人前の僧侶でない証拠

先日の土曜日はお磨き

お磨きしてくれたはいいがグッチャグッチャ。とんがったものの上に平気で多羅を措いたら傷むということを少しも考えない。

きちんと小僧修行ができてないというのはこういうところに如実にでる。

 

大の大人がそろってそのくらいの智惠もないのかと呆れて物も言えない。

だから「小僧もしたことないものは使い物にならない。格好だけで一人前の僧侶なんかじゃない」とこの世界では裏であざ笑うのだが一理あるのだ。

私の在家出身だがそれはそう思う。

「在家出身者はこれだからなあ・・・」という嘆息もよく聞く。

要するに専門の世界で言うならド素人丸出しということだ。

もっと言えばタダに偽物だ。

 

弟子が一人前でないということは私にも大いに非があり、恥ずかしいことだ。

情けないかぎりである。

下の写真は私がかたずけなおした後。すんなりおさまる。

最初は工夫しないから加護の中身が山済みであふれかえっていた。

仏様を信仰しているようでも仏具やものを丁寧に扱わない。そういう人間は誠などないのだ。

裏と表がある。僧侶として人前にはとても出せない。

裏と表を使い分けては修行ではない。

ただの作業だ。

 

次回も同じようなことがあったら担当したものは容赦なく当院から追放する。

必ずそうするので心当たりのあるのものはそう覚悟していただくように願う。

私は今までも、この人間は指導がもう不可能だなと思えば必ずやめてもらってきた。

例外などない。

鈍刀は鍛えなおせば折れるのが関の山だからだ。

鍛えるに値しない。

 

ある方から以下のメールが来ました

「 羽田先生、おはようございます。
今、ブログを拝見しました。
仏具磨きでお多羅の仕舞い方に配慮が足りず、聖天様、先生にご迷惑をお掛けしました。誠に申し訳ありません。
一緒に作業して頂いた方にもご迷惑となりました。
一切の責任は私にあります。
申し開きの余地もなくお詫びするのみです。
先生がおっしゃるように、『作業』になっており配慮がかけておりました。
お詫び申し上げます」

 

詫びるものは罰しません。不受懺悔戎がありますから。

罰すべきはほかの知らぬ顔をしているものだ。




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