時々、不器用だから世間で生きるよりもお坊さんになりたいという人いますね。
世間的なこと。話すのが苦手、人が苦手、
営業とかはできない。お金には執着しない。
だけどお坊さんになれば食べていける・・・というのは大昔の発想。
今のお坊さんは隠遁・隠棲などない。あるとしたらそういうのは資産家の晩年の道楽です。
ご領主さまがお寺を維持していた時代の話。
それも藩侯のお墓があるような大寺だけの話です。
今のお坊さんは宗教業で生きていくならば、言葉も行動もしっかりしていない人はやっていけないと思う。
利発で能弁、気が利いた人が重宝がられるのはどこの世界も同じです。
世間で生きていけない人はお坊さんになっても生きていけない。
だからまずお経を憶えるとか、仏教の勉強やるより、言葉の適格さ、行動の適切さをまず、身につけることこそが一番の修行です。
それにはまず人を良く見ていること。先輩や師僧をよく見て学ぶ。
そのままの自分を変えないでお坊さんのスキルだけ身につけようとする人は根底からまちがっている
仏教の世界に浸る。それはただの趣味の人のやること。
むかしの大名や貴族、豪商などの隠居後の娯楽です。
修行と趣味のはき違え。
まず、一番大事なのは一にも二にも適切に人のお世話ができる人になることです。
だって社会的には人を相手の仕事ですから。
霊感あるので祈祷僧になりたいという人もあるけど・・・
霊感あるとか、ないとか、そんなことはどうでもいい。
神仏の声が聞こえようが、お姿が見えようが、何を言っているのかよく伝えられない様な人には到底無理。
ましてや霊感強すぎて社会生活できないとかはお呼びじゃじゃない。
私に言わせれば病人です。
祈祷も回向もスキルの基本はまったく同じ。
そして世間や世上にも通じていないと生き残れません。
経済活動があればどこも娑婆ですから。
遠い平安の御代より伝教大師様もよく言い、よく行うということを大事にした。
よくいいよくおこなえばその人を「国の宝」と言い、両方しないでいる者は「国の賊」とまで言われた。