羽田談
「堪忍」ということは大事だ。
大乗仏教の「忍辱」という修行に通じる。「忍辱」は貪 瞋 痴のいずれにおいても大事であるが、とりわけ「不瞋恚戎」が大事だ。
即ち「瞋り」を律することだ。
ついついマナーのない人や不正義を見ると許せないという人もある。
気持ちはよくわかる。
それでトラブルになってしまうこともあるだろう。
それは「人間は等しくこうあるべき」という気持ちの故だろう。
だが現実の人間はレベルは様々だ。決して平等ではない。
極端な話が人を殺しても反省のない人間もいる。
だが、小さな正しさの問題にこだわり、大きなトラブルを起こしても、依然として正しい正しくないしか思わないのは少なくとも仏道ではない。
「正義の病」というものだ。
正義を正すより、まず自己の修養を言うのが仏道である。
自らの在り方を問うのが先だ。
不正義が減るより人格者を増やす道を選ぶのが仏道である。
釈尊は多くの人に道を説いたが、道から外れた人を捕縛したり懲らしめたりはしていない。
それでは社会正義がすたれると思いますか?
勿論、マナーや正義は大事だがそっちは警察や法律の分野だ。
まして懲らしめるのは私たちの仕事ではない。
修養のない人を凝らすより修養ある人を作る。自らの修養を守る。
それが仏道だ。
怒りのあまり正義の旗を振りかざして修養のない人間に堕してはいけない。
非を見ればどうすべきか。
聞く耳のあるものには道理を説くが良い。だがその耳無き者には物申しても無駄だ。
そんなものに実力行使であたるより自らの修養こそが大事なのだ。
「悪しき怪獣」を倒すため、町中を火の海にしてまで戦うヒーローになってはならない。