自分が生かされているということがわかると「諸法無我」も実感としてわかる。
我は我だけでなりたつことはない。
この我は実は周囲が作っている。
この我は周囲が形成している。
この我は周囲が保ってくれている。
一体どこまでが我なんだ?
我と思っているのは実は大いなる我の本の一部だ。
我は際限なく、他と我の明確な線はない。
もはやそこには我なる我は存在しない。
無我というのは自己否定でもないし、人と我をくらべるのでもない。
そういう比べるべきものは本来ないのだ。みなつながっている。
よその宗教の言うように犠牲などいらない。
それを喜ぶ至高の存在などいない。
どこまでも自他が隔絶しているからそういう考えに陥るのだ。