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怨敵退散は調伏ならず

「飯縄様の《怨敵退散》と《心身守護》の二つの御札を昨年冬に求めて一年間となりました。
御礼とご報告を重ねてメールしております。

結果すべて成就いたしました。
ご祈祷札が到着して数日、職場で陰湿な嫌がらせをしてきた人物は勤務中に大転倒して肩、脚の腱鞘筋を大断裂。
手術と半年以上の入院後、復帰不可で退職しました

その間、つらい時も心身にダメージなく、心にプロテクトスーツを被せてもらったようで図太くいられました
ありがとうございました!!」

 

飯縄様の怨敵退散は調伏ではないので、祈る私は怨敵である人の名前も知りません。

それを知る必要もないのです。

ただ仇や害なすものを除き給えと祈るだけのことです。

ダメージ与えることを目的にするものでも望むものでもなく。目的は障碍をあたえるもの自体を退けるにすぎません。

ですが、時に本人の悪業によって思わぬ激しい結果を呼ぶこともあるかと思います。

 

ただ、ただ驚くばかりですが、飯縄様も聖天尊もそういうことはおきえます。これはそうあれかしと私が祈ったことでもないので「申し訳ない」とは全く思いません。それでは筋が違います。

同時に業の果てのことなので「気の毒でかわいそうだ」などという同情もありません。

どうしてそうなったかは人ならぬ神にのみ、あるいは当人のみぞ知るでしょう。

 

あえていうならそのような結果も本人の積んできた業に見合ったものということになろうかと思います。

 

釈尊を傷つけるため狂った象をけしかけたという提婆達多は生きながら地獄に落ちたと言う伝説があります。

 

でも心は釈尊が彼を呪ったのでも神通によって調伏したのでもない。彼の自業自得なのです。

 

ただ、思わぬこうしたことがおきれば、「ざまあみろ」などとは思わず、

ますます身も心もを謹み、人の業というものに思いを致して謙虚に御加護を想うべきだと思います。




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