祈祷の目的は…つきつめれば生きる勇気をもらうことだと思う。
祈願の可否に関わらず、「神仏はある!」の想い。
その想いこそが生きる勇気となる。
それをつかめばしめたものだ。
これは理屈でどんなに上手に説明しても意味ない。
もっというなら理屈で説明できない。
ゆえに理屈でどんなに否定しても否定できない。
理屈で説明できないからこそ否定もできないのだ。
神仏は感じ取るものだ。
考えるものじゃない。
それが祈祷の意味だ。
祈祷して祈願自体が叶ってもその想いがないなら意味は薄い。
実質意味はないと思う。
もっとも大きな御利益を逃している。
たとえ祈願の趣旨が叶わなくても、神仏の存在がつかめたならそれにすぎるご利益は存在しない。