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狭い根性が身を守るネズミの自覚

私は私に異常に親切な人、度を越してやたら良くしてくれる人がいるが、そういう人物は歓迎するよりも警戒することが多い。なぜだろう?と考える。

 

それより誰にでも、人にも生き物にも平等に優しい心で接する人の方こそ好ましい。

そう言う人には安心がある。

私はそういう意味では純粋な好意とはもっと自然でほどよい目立たぬものという認識なのだ。

だから私に特別なことや大仰なことは何もしてくれなくても全然かまわない。

もちろん社会常識の範囲での儀礼行為は礼儀としてうけるが。

 

普通は違うのかもしれないが私はそういう脳の構造ではないのだ。

 

今まで書籍もそこそこ書いたが出版記念パーティだの、僧正にまでなったがお祝いだのというのも一切しない。

そんなの人様にはなんの関係もないことだ。

パーティなどすればお義理で金をつかわせるだけで時間も金もかかり、嫌がられるのだという認識しかない。

それで人が心底喜んでくれるなどとは思っていない。人様に迷惑をかけてまでそんなくだらぬ事しない。

逆にこちらのほうがありがたく思っているくらいである。

それだけだ。

 

したがって異常に接近して良くしてくれる者は「たくらみ」や「狙い」があるからにほかならないというのが私の認識だ。

境界線を越えてくるものには警戒しなくてはと思う。

 

異常に急接近してくる人は危険とみなして遠ざけることにしている。

何をたくらんでいるんだろう?と思ってしまう。それをまず見定める。

それこそが大事だ。故もなく人がそんなに大事にしてくれるはずもない。

あるいはただの買い被りもあろう。私などなにほどのこともないと自覚しているつもりだ。

「狭い根性」と言えば間違いなくそうだろうが、この「狭い根性」こそが身を守ると思っている。

ネズミのようなつたない生き物は警戒だけが身を守る。私もつたないネズミだ。

邪推するのも失礼だが、だからこそそれもあってあえて遠ざけるのもある。

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