羽田談 少年と言っても、性欲が起きる前の子供であるとするのが本義だ。
故に文殊は愛欲の煩悩を破する功徳を持つとされる。
荼吉尼天の御本地であり、荼吉尼天のような愛法神と呼ばれる天尊の本地としては不思議に思うだろうが、愛欲の真相は愛欲を離れてこそ見極められるのだろう。
故に荼吉尼天の行者は古来、愛欲に近くして、もっとも遠いものとならべねばならない。
荼吉尼天行者でありながら自らの愛欲を成ずる神として祈るのは大いにその真相を取り違えている。
最終的には荼吉尼天行者は文殊の三昧である「般若智の境地」に到るべきなのだ。
過去七仏の師である文殊が子供である訳はないが、実年齢とは関係ない。
抑々竜宮で多年法を説いてきた文殊は「龍趣上尊王仏」であって。その前身も龍を匂わせる御仏であるからそのあたりは人間とは違うのだろう。