この方の体罰論は知らないが、私は善ではないが、時には必要悪かもしれないとは思う。
その考えは体験から出たものであり、人がどう言おうがなにも変わりはない。
ただし、体罰が成り立つの根底に揺るがぬ信頼関係があるからだろう。
それが絶対条件だ。
犬、猫でさえその関係がないならしつけではない。牙をむくだろう。
なければ、善意の愛のムチだろうがしつけだろうがただの暴力だ。
以前テレビで見た限りだが戸塚氏に感謝している生徒もそこそこいるという。
それは信頼関係が築けたからこそだ。
そうでない人にはただ嫌な思いしかないだろう。
親でさえ「しつけ」ではなく怒りに任せた暴力を子供や赤ん坊にまで振う愚か者がいる。
親だから信頼されているとは言い切れぬ世の中だ。
体罰は教育の最も難しい秘奥にある。
禅宗の棒と喝の様なものだ。
叩かれてハッととしないのならそれはただの暴力や苛めだろう。
私自身も昔は弟子を扇子などでたたいたことも多々あれば罵ったり怒鳴ったりしてかなり怖がられたこともある。
それはここが大事!と思えばこそである。
だが、いまはそんなことはもうしない。
叩いてでも指導するなんてありえない。
今の人間相手にそこまでして教育するような熱意や慈悲はない。
信頼というほどのものも何もないと思っているのがまず無難だ。
だから恨まれでもしたらバカバカしいからしない。
しつけるといっても昔に比べればお客様待遇だ。
「あらあら、それはダメでしょう」くらい
禅宗の棒と喝も今はもう過去のものになったと雲水さんからきいた。