時々だが「講員になりたいけど、一体どのくらいの期間すればいいのか?」と聞く人がいる。
どのくらいとは?
そもそも一体何のために講員になりたいのか?
逆に聞きたいくらいだ。
信仰におわりなどない。
なってもやめるのは自由であり、一切引き止めない。
それが私自身の身上だ。
だがそもそも軽々にやめるような人にはなってほしくないと思う。
「あなたには講員にはなってもらおうと思わないから、そんな心配は無用です」と言っておいた。
一度そう言ったら何度頼まれても断ることにしている。
理由はこうだ。
ただ頼むだけでその人の考えが変わったかどうかなんかはわからないからだ。
中にいったん止めたがで再入講したいけど、2,3年たてばいいかな…などと言う人も過去にいたが何年、何十年たっても同じだ。
別に腹をたてているのではない。感情なら月日がたてば変わるだろうが、感情でない証拠に何年たとうと何十年たとうと同じなのだ。
ほかの頼み事も断ったら同じだ。変えない。
祈願をかなえたいだけならやめおくがいい。
そんなことで講員にならなくていい。じっくり、十一面様や聖天様、飯縄様とむきあいたい人だけでよい。
欲目で入講したら人は祈願が叶わなかったら講に入ってしくじったと思うんだろう。
そんな信者はいらんわ。
「お付き合いで信者に加えていただきたく・・・」などと言うのもまっぴら御免だ。
そういうのは腐ったみかんだ。他の信者もかびる。
付き合いの信者など大迷惑でしかない。