なるほど。
心塵脱落は合点がいく。
心から塵を除くのと、身も心も措いて出てしまうような表現ではまるで違う。
この辺から日本仏教はわけのわからぬ話になったのかもしれない。
やたら空だの無だのと言い「まだまだ空になり切れぬ!」などというが噴飯ものだ。
空になるのは一体誰だ?
空はなるものではなくそういう実相の一面をいうのだと思う。
歯を食いしばって修行して空になれるか。
あほらしい。
「心身脱落する」とは一体どういうことか?道元さんの言葉として大切にされているが・・・心身の囚われからの解脱をいうのだろうか?
心身脱落すれば何が残る?
心身脱落するのは何ものぞ。
正直にいうが私にはまるっきりわからぬ。これは駒大時代から疑問だった。
いまだにわからぬ。
見性体験ってそういうものなのかな?
失礼ながら字義をそのままよめば寝てしまうか重度の精神疾患の廃人だろう。
判らぬ私が俗物でバカだからか?
そうかもしれぬ。否定はしない。
だが、知る限り「心身脱落」と言っても、実際はどういうことをいうのかモデルのような人は知らない。
心身脱落は分からない。心塵脱落ならわかるが。
羽田談