あるお寺で何年も昔の御祈願の件で効果がなかったからお金返せという苦情が来たそうです。
住職自体が憶えていないかも・・・。
そういう話は時々方々で聴きます。
フ~ン じゃあ医者にいって病が治らなかったから、あなたはお金返せというのかね?
裁判に負けたら弁護士費用はいらないのかね?
株かって儲からないなら証券会社に補填させるの?
ハッキリ言ってこう言う人は祈願を頼む資格がない。
なぜなら常識が欠落しているからです。
甘えるのも大概にして頂きたい。
こういう考えの人はどこでもお断りです。
祈願料は望み事を神仏に祈祷をしていただいたことに対する喜捨です。
それ以外の意味はゼロです。
御利益はダイレクトにお金で売っていない。売っているところあるなら買っててみたらいい。
健康はダイレクトにお金で売っていない。あるなら買ってみたらいい。
若いころ、霊障かどうか判断して欲しい。
でも霊障でないならお金要らないよねという人がいた。
そう言う人いるんだね。
「大丈夫ですよ。そういう方はみませんから。」と言っておいた。
うちは「絶対、叶いますか?」とか「絶対、当たりますか?」については
「絶対を当て込んでも無駄です。叶わないこともあれば、当たらないこともいくらでもありますから。」と言い切っています。
「そうなんですか?・・・・じゃあやめます」
大いに結構!是非、是非やめて頂きたい。
抑々絶対○○なることは生まれたら死ぬ、そして生きておれば年もとれば病もする以外はありえないというのが仏教です。
絶対は依頼者の核心のなかにしか生まれない。
外に求めるのは迷信です。
例えば、聖天さまなら絶対にかなうという保障などはどこにもない。
聖天様なら叶うに違いないというのはあなたの心のなかにのみあることだ。
信じるならそれを信じることだ。
それがないなら外に求めても無駄だ。