聖天信仰はあとが良くないため、一代限りでおしまいとか七代先までの福を一代に取るとか言うがそれは違うと思います。
要は聖天様はいろいろカルマを肩代わりしてくれているのだからそれを消化しないといけない。
だから聖天信仰で財を築いた人は晩年は善行善事に色々大きいお金を使う。
有徳人となることだ。
そうしないとならない暗黙のルールがあった。
大きい家で続いているのはそういうことだ。
そして次代に引き継がない場合は十一面観音に信仰にシフトしてもうご本地に帰っていただく。
ところがそういうのがないから次代は一挙に消化できないカルマの返しが来る。
行者もそうだ、次の行者が聖天様をなめて怠けると先代や先徳が防ぎとめていたものを防ぎきれなくなる。ドッと来る。おしまいになる。
だから聖天信仰しないのではなく、聖天信仰をして福を作り、つくったら徳を施しなさい。
よいことをしてくださいという話だ。