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延命十句観音経講話 3

仏法僧縁。常楽我浄

この仏法僧縁は仏法相縁とかいたものもあるといいます。

ですが私はやはり仏法僧縁でいいと思います。

仏である大聖釈尊が世にいでたまいて、法を説かれ、それを連綿として伝えるのが僧侶です。

ですから仏法僧縁でいいのです。

僧への縁は法につながり仏に行きつきます。

私のようなものであっても自分が良き師僧に法を学び、そして修行の果てには未熟ながらも仏に対して幾分の理解を得ることができました。

若し良き師に合わねばそれができることはなかったと思います。

 

僧なくして法は説かれず、法が説かれなければ誰も仏を知ることもできません。

 

 

常楽我浄は大乗の究極です。

今までは世の中は無常である。

苦である。

我は存在しない。

不浄である。

と仏が説いてきたのは全て執着を離れしめるための方便だったのです。

差別相を離れて我他彼此の区別がなくなれば、無常にして常住

苦にして楽 無我なる我 不浄にして浄の境涯に到ります。

金剛経に即して言うならば 

無常は無常に非ず、これを無常という。

楽は楽に非ずこれを楽という。

無我は無我に非ずこれを無我という。

不浄は不浄に非ずこれを不浄というということになるかと思います。 

 

 

 

 




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