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秘法の怖さ

今日。大森先生の来山で歓談。

そのなかでやはり身にすぎた法は怖いという話。

とりわけ「秘法」というのはそういう存在だ。

法には時期もある。器もある。

何でも授かれるものは無理してでも授かろうと思う人もいるが法には準備がいる。

求道の心があるならそれが整えば自然に法も受けるチャンスはあるものだ。

「聖天法」でも何でも授かればこっちのものと思うかもしれないが当の聖天尊はどう思う?

アラジンの魔法のランプではないのだ。

野心をたくましくして洗いざらい、受けてもそれが消化不良では必ず災いになる。

古来言うように法多きを喜ばずだ。

そこは自分の弟子には厳しくても他所から来た弟子には紹介してきた相手の師の顔を立てようとして、たいして審査なく法を授けるがこれが存外によくないことだと思う。

色々あって考える。

授けてもかえって良くない結果になってしまうのは私も嫌だ。

だから最近では伝法に関してはケチケチでしている。

特に天部などにおいては授ける新しい弟子は、果たしてそんな人がいるかいないかだろう。

 

 

 

 




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