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あえて伏蔵せず

何か「もめ事」があると敢えて本当のことを言わない人がいる。

自分のことはいわないで、ひたすら相手のみを責める。

それでもめ事を解決してくれという。

そういう祈願を知らないで言うがままに受ける。

基本的に神仏に頼みごとをするのに嘘や隠し事を言うことはありえないと思うのだが・・・。

残念ながらそのありえない人というのはいる。

だが神仏はお見通しだ。

アホな私はごまかせても神仏は無理だ。

神仏は間違った人の味方はしない。

むしろ神仏の前でさえ正直ななれぬことをどう思われるだろうか・・・

人間に誤魔化される。

そのような神仏のどこに威徳があろうか?

何万円、何百万円、かけても祈願料の額など神仏から見れば問題ではない。

実際、金持ちだけが霊験を得るわけではない。

私自身が間違っていれば同じように手厳しく遇される。

少しも信者さんと変わらない。

それどころか行者としてもっとはるかに厳しく遇されるだろう。

だから已作の罪は敢えて伏蔵せずだ。

 

真摯な反省のない処に救いは決して訪れない。

「仏法は懺悔を先とする。」は鉄則です。

 

聖天様は邪な願いも叶うは嘘だ。

そんな願いに感応してくるのは悪鬼ビナヤキャだけだ。

それは最終的にもっとひどいことになる。最悪の結果になる。

聖天様は決していさめない。ビナヤキャも止めない、祈願者も止めない。

そんなことがまずいのはいわずともわかりきっているからだ。

ただ冷然とじっと見ている。

それは恐ろしい結果となる。

それが聖天を不正直を以てたばかるものへの罰なのだ。

 

 




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