以下の内容はhttps://konjichouin.hatenablog.com/entry/2021/09/26/073608より取得しました。


ちょうどよい

良寛さんは江時代の禅僧《曹洞宗》

こんな歌を詠んでいる

仏さまになった気持ちで読んでいる歌です。

 

仏の言葉

 お前はお前で丁度よい

 顔も身体も名前も姓も

 お前にそれは丁度よい

 貧も富も親も子も

 息子の嫁もその孫も

 それはお前に丁度よい

 幸も不幸も喜びも

 悲しみさえも丁度よい

 

 歩いたお前の人生は

 悪くもなければ良くもない

 お前にとって丁度よい

 地獄へ行こうと極楽へ行こうと

 行ったところが丁度よい

 

 うぬぼれる要もなく 卑下する要もない

 上もなければ下もない

 死ぬ月日さえも丁度よい

 

 仏様と二人連れの人生 丁度よくないはずがない

 丁度よいのだと聞こえた時 憶念の信が生まれます

 

 南無阿弥陀仏

 

これは絶対的自己肯定です。

これに比べれば我々は何が不足だ。何が足らない。もうちょっとこうであればとか言います。あの時ああしていればと思います。

でもそんな自分はどこにも存在しない。

好きだろうがきらいだろうが今現にある自分だけが本当であり、その肯定から始まらねば出てくるのは全部嘘、かりそめの妄想です。

良寛さんは優しい歌を詠まれていますが、これは実は禅宗お得意の「喝」とみました。

 

最期に南無阿弥陀仏と結ばれています。これは良寛さん独特です。

曹洞宗には浄土信仰 念仏信仰は存在するわけでもなく、宗祖道元は否定的です。

 

 

 




以上の内容はhttps://konjichouin.hatenablog.com/entry/2021/09/26/073608より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14