法の中には増益と言って多くの豊かさを招く秘法もある。
そういうのは繰り返し行い法がなじめば大きな力を出す。
法が効験をあらわせば、あらわすほど、やたらに法を修することへの恐れも生じる。
そういう畏敬の念は実はとても大切だと思う。
これは増益だけでなくすべてに通じる。
たとえば不動明王法の祈願でうまくいっているのに、いくら秘法でも聖天尊浴油の祈願などする必要などはない。
法験を十分見ながら、さらにその上を行く方を探して伝授を受けてもうまくいくとは限らない。それは修法する心が落ちて堕ちているからだ。
であるなら、むしろ今までの法を大事に丁寧に修した方がずっといい。
法自体に優劣はない。
自分が扱えるか否かだ。
刀でも槍でも薙刀でも扱えればそれで十分だ。手に合わねばそれまでだ。
あえて「秘法」だからとてほかの得物を求める必要はない。
例えば名刀と言うものも自分が手に合うのが一番の名刀だ。
ドンなに切れようが誰が打とうが実際刀を振るう上には関係ない。